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  • 観覧時間09:00~18:00 (週末、祝日の観覧時間は同じ)
  • 休館日毎週月曜日 (振替休日の場合は祝日の次の最初の平日), 1月1日、旧正月、秋夕
  • お問い合わせ041-850-6300

国立公州博物館

収蔵

鎮墓獣
鎮墓獣

鎮墓獣は、中国・後漢時代から見られる角と翼がついた想像の動物で、墓を守り死者の魂を神仙の世界に導く役割を果たしています。武寧王陵で出土した鎮墓獣は、韓国で発見された唯一の鎮墓獣で、頭に角があって胴体に翼がついており、口や胴体の一部は辟邪の意味で赤く塗られています。大きさは、高さ32.2cm、長さ48.6cm、幅24.0cmで、重さは48.5kgです。分析の結果、胴体は角閃石岩、角は鉄で作られていることが確認されました。

墓誌石(王)
墓誌石(王)

墓誌石とは、死者の人物情報、死亡・埋葬時期などを記録して墓の中に入れていた石のことをいいます。武寧王陵の発掘当時、羨道の前に長方形の平らな石板が2枚並んで置かれていました。 王の墓誌には、「嶺東大将軍百済斯麻王(武寧王)が62歳となる癸卯年(523)5月7日に逝去し、乙巳年(525)8月12日に大墓に安置した」と記録されており、墓の主が百済の第25代王・武寧王であることや、死亡・埋葬時期を知ることができます。 裏面には、方向を示す一種の方位図または陵域図ともいえる干支図が刻まれています。

墓誌石(王妃)
墓誌石(王妃)

墓誌石とは、死者の人物情報、死亡・埋葬時期などを記録して墓の中に入れていた石のことをいいます。武寧王陵の発掘当時、羨道の前に長方形の平らな石板が2枚並んで置かれていました。 王妃の墓誌には、「丙午年(526)11月に武寧王妃が逝去し、西の地で3年間喪に服し、己酉年(529)2月12日に大墓に安置した」と記録されています。 裏面には、一種の土地売買文書ともいえる買地券が刻まれています。ここには、武寧王が1万文の金で土地神から墓として使用する土地を買い入れ、これを文書で証明するという内容が書かれています。

足座(王)
足座(王)

木材の上部を真ん中からW字状に切り欠き、遺体の両足を安置することができるように作られた足座です。表面には全体的に黒い漆塗りを施し、長方形の金板をつなげて六角形の文様を作って取り付けています。六角形の角や中央部には、1個の瓔珞がついている金製の花形装飾を取り付けて装飾を施しています。 花形装飾は、百済の熊津時期と泗沘時期に製作された円瓦当の蓮花文に似ており、六角文も百済が北魏を通じて接した仏教思想に影響を受けて現れたものと考えられ、全体的に仏教的な世界観と来世観が反映されていることが分かります。

頭枕(王妃)
頭枕(王妃)

木材の上部を真ん中から半円状に切り欠き、頭を固定することができるように作られた頭枕です。表面は天然鉱物である辰砂で赤く塗り、幅の細い金箔で縁取りして装飾を施しています。金箔で六角形の文様を作り、その内側に黒い墨と白い顔料で天人、蓮花、マカラなどを描いて装飾を施しています。図像は、蓮花の蕾から生まれた童子が神仙になるという「蓮花化生」であると解釈されます。 鳳凰の頭の形をした装飾は、元々頭枕の上面に置かれていたものと考えられます。一組がほぼ同じ大きさで、全体的に類似した形をしています。

金製冠飾(王妃)
金製冠飾(王妃)

王妃の頭付近から1組が出土しています。金板を薄く伸ばした後、文様を切り抜いて作っています。串の部分は青銅で作り、3個のリベットで固定して金板に取り付けています。 王妃の冠飾には瓔珞はついておらず、蓮花文やパルメット文、賢瓶がそれぞれ対称的に表現されています。賢瓶から分かれ出た忍冬の茎は上下に伸びており、文様の上部は火花のように横に広がっている茎が上に行くほど集まってきます。全体的な文様は、蓮花が咲く姿、つまり「蓮花化生」の姿に似ています。

金製耳飾(王妃)
金製耳飾(王妃)

王妃の頭付近から発見されました。大きな環は半円状の金板を張り合わせたもので、中は空洞です。連結環には金製鎖で2本の垂飾をつなげ、木の葉の形をした瓔珞をつけています。短い垂飾には、上部に青緑色の琉璃玉を通し、下部にペン先状の先端装飾をつけています。先端装飾の縁は、金の粒と刻み目で装飾されています。長い垂飾の先端には、長さ3cmの弾丸状の先端装飾をつけています。金の含有量は98.1~99.7%です。

金製耳飾(王妃)
金製耳飾(王妃)

王妃の冠飾付近から発見されました。大きな環と連結環、垂飾の形は、他の一組の金製耳飾のそれに似ています。垂飾は金製鎖でつなげ、木の葉の形をした瓔珞をつけています。上部は、青緑色の琉璃玉を半球状の金製装飾にはめています。先端装飾はペン先状の形をしており、縁は金の粒と刻み目で装飾されています。金の含有量は97.0~99.7%です。

金製冠飾(王)
金製冠飾(王)

武寧王の頭付近から1組が重なった状態で発見されました。 『三国史記』百済本紀古爾王條には、「28年春の正月元日に王が・・・(中略)・・・金花で装飾を施した黒い烏羅冠を被り・・・(中略)・・・南堂に座って政事を執り行った」という記載があります。ここでいう「金花」がこの冠飾です。 文様は、火花のようにダイナミックで華やかです。金板を薄く伸ばした後、文様を切り抜き、その上に瓔珞をつけています。下の串の部分は冠に固定するためにU字状に折り曲げられており、糸で縫い付けることができるように小さな穴が開けられています。分析の結果、金の含有量は98.0~99.1%で、ほぼ純金に近いことが分かりました。

金製耳飾(王)
金製耳飾(王)

王の頭付近から1組が発見されました。大きな環に2本の垂飾をつけた形になっています。1本は先端に大小の心葉形の装飾をつけ、円筒状の中間飾をつなげています。中間飾の縁は、金の粒をつけて装飾を施しています。もう1本は、小さな環を張り合わせて作った球形の装飾5個をつなげ、先端に金の粒で装飾した金冠を被せた曲玉をつけています。分析した結果、金(Au)の含有量は97.9~99.8%で、純度の高い金を使って作られていることが分かります。

金製装飾(王)
金製装飾(王)

王の頭付近から銅鏡と重なった状態で出土しました。真ん中には宝珠形または蓮花の蕾の形をした頭がついており、その下は2枚の翼を広げたような逆三角形の胴体になっています。下部は鳥の尻尾のように3本に分かれて長く伸びています。裏面から打ち出して文様を浮き彫りにする打出技法で、上部には花びらを、下部には忍冬唐草文を刻んでいます。成分を分析した結果、金(Au)は92.5~94.2%、銀(Ag)は3.3~3.7%、銅(Cu)は2.3~3.8%であることが確認されました。

金製頸飾(王妃)
金製頸飾(王妃)

王妃の冠飾付近から出土しました。7本の金製棒をつなげたもので、「七節頸飾」とも呼ばれています。1本の金製棒の長さは約6cmで、多面的に角張っており、棒の両端には棒をつなげるために紐のように細く伸ばした丸い環があります。新羅や伽倻地域では見られない百済固有の特徴を有する首飾りです。同じ形の九節頸飾と重なった状態で出土しました。 金の含有量は98.8~99.0%で、純度の高い金を使って作られていることが分かります。

金製頸飾(王妃)
金製頸飾(王妃)

王妃の冠飾付近から出土しました。9本の金製棒をつなげたもので、「九節頸飾」とも呼ばれています。1本の金製棒の長さは約6cmで、多面的に角張っており、棒の両端には棒をつなげるために紐のように細く伸ばした丸い環があります。新羅や伽倻地域では見られない百済固有の特徴を有する首飾りです。同じ形の七節頸飾と重なった状態で出土しました。 金の含有量は98.8~99.0%で、純度の高い金を使って作られていることが分かります。

銀製釧(王妃)
銀製釧(王妃)

王妃の左手付近から発見されました。同じ銘文と文様が刻まれている一組の腕輪です。内側は平面で、外側は半球状になっており、1つの腕輪に2匹の龍が刻まれています。 腕輪の内側には、両端に刻み目が施されている銀板が重ね合わせられています。銀板には、「庚子年二月多利昨大夫人分二百卅主耳」という17字の銘文が太い字画で陰刻されています。「多利という名の職人が庚子年(520)に大夫人(王妃)のために230主耳(または銖)の銀を使って作った」と解釈できます。王妃が逝去する前に製作されたもので、生前に使っていたものをお墓に副葬したと考えられます。

青銅製方格規矩神獣文鏡(王)
青銅製方格規矩神獣文鏡(王)

王の足元から発見された銅鏡(青銅製方格規矩神獣文鏡)です。中国・漢時代の銅鏡を元に作られた倣製鏡として知られていましたが、最近は百済で作られたものと見る見解もあります。真ん中の区画面の内側に十二干支が書かれており、髷を結ってまわしを巻き、手に槍を持った狩人(または神仙)や動物たち、一角獣などが表現されています。 外縁には、「尙方作竟眞大好上有仙人不知老渇飮玉泉飢食棗寿(如)金石兮(尚方で作られた鏡は真に優れたもので昔の仙人たちは老いを知らず、渇しては玉泉を飲み、飢えてはナツメを食し、金石のように長寿を享受した)」と書かれています。

青銅製宜子孫獣帯鏡(王)
青銅製宜子孫獣帯鏡(王)

王の頭付近から出土した銅鏡(青銅製宜子孫獣帯鏡)で、武寧王陵で出土したものの中では最大のものです。真ん中の鈕を中心に9個の小さな突起を巡らせ、その間に動物や「宜子孫」という文字を刻んでいます。外側の円には7個の大きな突起を巡らせ、その間に四神をはじめとする動物たちを配置しています。周辺には文字が刻まれており、明確ではありませんが、神仙思想が反映されていると考えられます。この銅鏡と類似した形のものが日本・群馬県の観音山古墳でも出土しており、当時の日本における百済文化の影響を示しています。

銅鏡(王妃)
銅鏡(王妃)

王妃の頭付近から出土した銅鏡です。全体的な形は王の宜子孫獣帯鏡に似ていますが、突起は比較的小さめです。3つの大きな円で区画されており、真ん中の鈕を中心に9個の小さな突起を巡らせ、その外側を円で区画し、その周りに大きめの7個の突起を等間隔で配置しています。その周りにそれぞれ2個の円文を渦巻のように巡らせ、その間に四神をはじめとする動物たちを刻んでいます。外側の円には、鋸歯文や縄簾文が見られます。

金銅観音菩薩像
金銅観音菩薩像

この金銅観音菩薩像は、最も美しい百済仏像の一つです。微笑みをたたえたふっくらとした顔とほっそりとした身体、二つ編みにして両肩まで自然に垂らした髪、流れるように垂れ下がっている天衣の裾、鬼の装飾板を中心に二筋に分かれている瓔珞帯、安定感のある蓮台座などが一つにまとまっており、美しい形態美を有しています。身体の前で交差する天衣は、肩の後ろでU字状に長く垂れ下がっていますが、これは百済の観音菩薩像に見られる特徴です。

石槽
石槽

石槽は、主に寺院で蓮花を入れて飾るために使われていたものと考えられます。班竹洞石槽と様式や彫刻技法が同じで、一組として同じ時期に作られたものと考えられます。 花崗岩をくり抜いて作った石槽は、台付き椀を大きくしたような形をしています。台石の上に円筒状の台柱を立て、その上に石槽をのせています。台柱には、12枚の花びらを持つ蓮花文が刻まれています。石槽の口縁部には蹄のように幅の広い帯が、中央部には8枚の花びらを持つ蓮花や二重の帯が刻まれています。

石槽
石槽

石槽は、主に寺院で蓮花を入れて飾るために使われていたものと考えられます。中洞石槽と様式や彫刻技法が同じで、一組として同じ時期に作られたものと考えられます。 花崗岩をくり抜いて作った石槽は、台付き椀を大きくしたような形をしています。台石の上に円筒状の台柱を立て、その上に石槽をのせています。台柱には、12枚の花びらを持つ蓮花文が刻まれています。石槽の口縁部には蹄のように幅の広い帯が、中央部には8枚の花びらを持つ蓮花や二重の帯が刻まれています。

仏像
仏像

公州市・熊津洞にある望月山の東側に位置する西穴寺址で発見された仏像です。両肩を覆っている通肩の法衣は身体に密着しており、胸の辺りには帯状の結びが表現されています。手印は右手を膝下に垂らし、左手は足の上に置くという降魔触地印をし、足は結跏趺坐の姿勢を取っています。台座の上台石には仰蓮が、下台石には覆蓮や耳花が表現されています。地台石には、極楽の天使である天人や鳥の身体に人間の顔を持つ迦陵頻伽が刻まれています。各部の細部表現から、9世紀頃に作られたものと考えられます。